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2014年6月16日(月) 19:00 – 21:00
入場料:1,000円(うち劇作家・インカム1,000円)

無職・イン・レジデンス VS not vs or anti vs

[ 対談 ]

岸井大輔(劇作家)
タカハシ ‘タカカーン’ セイジ

[ 書記 ]

サトウアヤコ(mogu book)

[ 概要 ]

まず僕タカハシが、岸井さんと会うのはこれで4度目。初対面は、FLOATで開催している’やってみたかったことをやってみるための時間’「フロリズム(現:みるみる)」というイベントで、ふらっとそこへ岸井さんが訪れてくれた。岸井さんが試したアイデアは確か「船頭多くして船山に登る」ということをその場にいた参加者で具現化するというものだった。今でもよく意味がわかってないんだけれど、皆で仮の山をイメージして、そこに登るイメージで全員で手をつなぎ輪をつくって押し合いへし合いをした。なんだったんだろう。楽しかったんだけど。その模様はこちら。もう2年前になるのか。

2度目は、FLOATで寝ていたら米子さんを訪ねて突然ご一行が。最初の岸井さんとの出会いからずーっと悶々と気になっていて、なんとなく過ごしていた。ああ、天才なんだな、と始めからのイメージは変わらず。そんなこんなで、3度目は岸井さんが上梓した「東京の条件」を手に入れるためにトーク・イベントに遊びにいった。まだまだなんか遠い存在に感じていたんだけど、ひょんなことから僕が考えた(岸井さんと会ったときは僕がこんな取り組みをするなんて思いもよらなかった…)’無職・イン・レジデンス’のサイトにコメントをもらおうと思い切って後日連絡してみた。そしたら、なんてライトな返事が返ってきたことでしょう!(ファンか、僕は)そんで、この対談イベントが開催される運びとなりました。

恥ずかしながら、僕は気になる存在がいる時に、その人のことをWebで調べることはほとんどしない。だから、岸井さんの文字になるような情報はほとんど知らない。公演などにも伺う機会もなかったな。とにかく、出会ったときのインパクト(見た目もそうなのかな?)が凄くて、なんかそれだけでいいやっていう。でも劇作家っていうのは知ってて、「東京の条件」を読むまでは’ゲキサッカ’っていう職業?もよくわかっていなかったし、特に’ギキョク(戯曲)’は今でも意味不明。アホを露呈してるな…

僕は、岸井さんのことを’街を飲み込むゲキサッカ’だと思っていて、逸話では、シャッター商店街を生み出すために現役のお店に閉店を頼んで、そのお祝いを商店街の人を巻き込んでお祝いパーティーを開催されたとか…まちづくりなんじゃなくって、’この街のこの感じ’みたいなグワーっとくる感情を保存できる人なんじゃないかなあって。あと、家がないとも又聞きしてます。その御年で!?岸井・イン・レジデンスやん…

まあまあ、僕が生み出した概念であり実施するプロジェクト名’無職・イン・レジデンス’は結局なんやねん?とよく聞かれるわけで。でも、結論めいたことを用意するこの風潮を嫌う表明としてもやっているようです。きっと、まちおこし、まちづくり、芸術文化、福祉、雇用…そういうものに振り切れることは容易いんだと。この宙に漂わせてる状態で、なんとか言語化を試みたい。イメージの飛躍を図りたい。それが、この対談者であれば可能なんじゃないかと。スペースをつくる前だからこそ、前回のアサダさんとの対談もそうなんだけれど、僕にとって挑戦です。無意味に集まって、わけのわかんない話をしましょう。

岸井大輔

劇作家
1995年より、他ジャンルで追求された創作方法による形式化が演劇でも可能かを問う作品を制作している。
代表作『P』『potalive』『文』『東京の条件』
1970年11月生。
最初の記憶から人形劇をしている。小学校ではままごとと学級会演劇に明け暮れる。
1982年開成中学入学。演劇部で小劇場と諸現代芸術を見ながら、演劇だけが近代芸術であることに疑問をもつ。
1989年早稲田大学大一文学部入学。1995年に演劇以外の芸術 ジャンルは、そのジャンルを定義することでジャンルそのものを問い直した先達が現代芸術を創った(美術におけるバウハウス・デュシャン、音楽における シェーンベルク・ケージ・シェーファー、ダンスにおけるラバン・フォーサイスのような)が、演劇にはいないことが、演劇が現代芸術である原因だと 確信す る。あるいは芸術におけるモダニズムの完遂を「創作方法によるジャンルの形式化」と捉え、われわれの世代の演劇人の歴史的役割はこの問題と向き合うことだ ろうと考え、創作の指針とする。
1995年から、スタニスラフスキーシステムなどの演劇創作の方法論を形式と捉え、演劇概念を拡張する試行を開始。記憶の再生が演技を生み出す事 そのものを演劇と見なすプロジェクト『記憶の再生』、判断を全てサイコロに委ねる演劇『P』などを発表。その過程で、演劇を「人間の集団を素材と する」と定義。人間集団として、「まち」を捉え、まちが表現する状況を設定する作品群『POTALIVE』、人間集団へ出入りする場を演劇として 提示するシリーズ『LOBBY』、集団が良い劇を創作する方法の一つを形式化したワークショップのシリーズ『作品を創る/演劇を創る』、日本集団 を日本語を通して捉えるプロジェクト『文(かきことば)』などがある。
2009年から2012年には、東京における公共を考えるために、ハンナアーレントの『人間の条件』を戯曲と見なし都内で上演するプロジェクト 『東京の条件』実施。会議体/準備室などの諸プロジェクトを通し、人間集団を創る作品を手掛ける。
2013年上演を『人間集団を美的に捉えそれに立ち会うこと』と定義した。

サトウアヤコ(mogu book/日常記憶地図)

mogu bookという、本や言葉を媒介に対話をする会や活動と、
反復的な日常生活や記憶を地図に落とし込む、日常記憶地図という活動をしています。
何かを介した間接的なコミニュケーションや、 言葉になりにくいことを言葉にするプロセス(言語化),
表に出てきにくいものを掘り起こしたり見えるようにすることに関心があります。
http://mogubook.net/
http://mylifemap.web.fc2.com/

タカハシ ‘タカカーン’ セイジ

「プロフィール」って「横顔」って意味なんだって。なので、僕が書くこの文章は自分の内側から外をまっすぐ見た顔になるのかな?鏡的な。
1984年大阪府吹田市生まれ、その後大阪府三島郡島本町で幼少期を過ごす。直近では、大阪市内にある安治川倉庫FLOATで過ごすことが多い。
基本的にミュージシャンのはずで、バンドとしてはgeeq名義で活動する。直近では、人間の根源的なタイム感をベースにした音楽集団、タカハシセイジかんじれんしゅうフィル(仮称)を立ち上げた。常に世界初の概念や企画を考え出しては、突発的にイベントなどを催している。直近では、無職・イン・レジデンスを生み出す。企画としては、みるみる(フロリズム)、無音散歩、生誕53周年祭無職誠司(旧姓高橋)記念パーティー、映画の予告編を楽しむ会、パ会24時間茶論、独奏会「ウイスキーがのめるまで」、読書フェス、協奏会「ウイスキーがのめるまで」、?を自動販売機で売ろう!WS、着メロ音楽祭&インスタレーション2014、無職・イン・レジデンス VS コミュニティ難民などがある。