2015年版 無職・イン・レジデンス報告書

Comming Soon…!!

電子書籍『無職・イン・レジデンス』

BCCKS / ブックス – タカハシ 'タカカーン' セイジ著『無職・イン・レジデンス』

『無職・イン・レジデンス』タカハシ 'タカカーン' セイジ著 無職研究室 Mu Lab.発行

少し前にリリースしていましたが、告知を忘れていました。僕の設定ミスで現状全ページ’タチヨミ’出来ちゃいます。ですので、恐縮ですが有料での購入はイコール寄付や応援として捉えてくだされば幸いです。死ぬほどザックリ2014年末までを振り返ってますが、BCCKSの仕様をフルに活かしたレイアウトのバグっぽさがかっこいいと感じています。ほぼ、写真集です。(2015.7.8)

無職・イン・レジデンスについて

滞在/暮らしに視点を置き、結果に重きを置かない取り組みです。

いわゆる「無職」「何にも属さない人」
賛否あるかと思われますが、ポジティブな側面での「何もない状態」から
ともに暮らすこのプロジェクト/プログラムが始まります。

このプロジェクトの変化を日々捉えつつ、
ゴールや確定的な意味はあえて今は定めることなく、進みます。
その中で見えてくるものは、きっと多様なはず。
矛盾を抱えつつ、楽しんでまいりましょう。

まずは、大阪から。

2014.2.7無職・イン・レジデンス 発想人タカハシ ‘タカカーン’ セイジ

お問い合わせ先:info@seijitakahashi.net

 「無職・イン・レジデンス」を開発(2014年2月7日)/実施/提唱しているタカハシ ‘タカカーン’ セイジが、この度2014 年11月2日、「無職研究室(Mu Lab.)」を設立いたしました。
初代研究室室長として私タカハシが就任いたしましたことを報告いたします。
無職研究室は、現在定義されている「無職」の定義を社会へ問い直し、新たな創造を目的に、調査/分析/研究活動を行ってまいります。

 また、「無職・イン・レジデンス」開発の発端は、「働いている無職もいるのではないか?」という疑問からでした。つまり、無職とは職(または仕 事)の有無や収入の大小でのみで測るものではないのではないか?ということです。
着想から現在までの「無職・イン・レジデンス」は、「目的を定めず、結果を求めず、無職とレジデンス・スペースのオーナーが一定期間暮らす場」と して定義していました。
今回、無職研究室の設立を機に、「無職・イン・レジデンス」は、「あらゆる人々の無職性を抽出し無職の幅を知る/知ってもらうべく、調査/対話を 行うリサーチ/実地・滞在型プロジェクト」と位置づけ、今後展開してまいります。

 そして、「無職」の幅を広げる新たな取り組みとして…
個人に内包されている無職性、つまり無職の性質や状態を測る指標を提案いたします。 それが、「無職スペクトラム(仮説)」です。
スペクトラムであることからも、どの状態がよいというわけではなく、まずそれぞれの個人がどの状態でいるのかということを把握し、暫定的に求めら れた数値とその個人による認識とのズレを知ることが重要であることを提言いたします。
仮説立ての動機である問い「働いている無職がいるのではないか?」は、この「無職スペクトラム(仮説)」を元に、調査/分析/研究活動を行うこと で実証できるものと考えております。

 最後に、無職は「属性」から「状態」の時代へと突入する契機に、無職研究室の研究成果が役立てることを願い、この度の発表を締めくくりたいと思います。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

2014.11.2 タカハシ ‘タカカーン’ セイジ

無職研究室員コメント及び所信表明

無職研究室員(関西支部/2015年2月17日現在)からコメント及び所信表明が発表されましたので、お読み下さい。
(無職研究室員になった順にしようかと思ったのですが、記憶が曖昧なためメールが届いた順番で記載します/なった日にちを正式に割り出すことは可能ですが、割愛。だいたい2014年末からです)
(文:無職研究室室長 タカハシ ‘タカカーン’ セイジ)

Yuko Nexus6

Yuko Nexus6

おとにきく たかしのはまの あだなみはかけじやそでの ぬれもこそすれ

祐子内親王家紀伊

男もすなる就職といふものを女もしてみんとてするなり……男女雇用機会均等法元年(1986年夏)に就職活動を行った。恋人に振られた傷を忘れんとて思いっきり受けまくって落ちまくる。梅田のビジネス街をスーツで歩いてると泣けて泣けて袖をしぼるばかりなり。「大阪にいたら彼のことを思い出す。苦しい!」と、一件だけ内定くれた会社(のちにブラック企業と判明)拝み倒して東京配属にしてもらう。1987年春上京。

1987年末ブラック企業退社。編集プロダクションに拾ってもらって翌年より勤務。いとをかし!自由裁量制。やることやってりゃ出社も退社も時間は自由。徹夜ハイで自らを「出来るコピーライター」と誤解。時代はバブル。不摂生生活を極める。

1990年代に入る頃から、休日といえば一日中蒲団にくるまって過ごすようになる。別に落ち込んでるわけじゃないけど何もしたくないしだりぃし。酒量増える。同時に奇妙な万能感に襲われていきなり会社をひと月休んでアメリカ西海岸を旅したり。当然帰ってきたら解雇。でも気にしない。私、人気あるから、すぐ別の会社が雇ってくれたし~。

1993年、また瀕死の重傷クラスの失恋。東京にいるのが嫌になり、サンフランシスコに3か月。はじめて「フリー」という名の完全無職状態を経験。でも、あっちの人って、あくせく働かなくてもなんとかやってるし、職よりも大事なことに重きをおいて生きてるよなぁ~って思ふ。

帰国したら阪神淡路大震災とか地下鉄サリン事件とか色々あって、1996年から近江の国で暮らすことに。黎明期のインターネットと格闘しつつフリーライターとしてちょびちょび仕事するも実質は主婦状態。なんかモヤモヤ。

日々をごまかしてるうち、声かけてくれる人がいて2001年春から大学の非常勤講師を体験。あ、これ、楽しいかも。充実するかも……と気をよくしていたら2002年春、鬱病発症。かへりみれば90年頃の過眠(と時々のハイ状態)から病は潜行していたらしく、以後双極性気分障害に翻弄される。調子いい時は楽しくて仕方ない学生さん相手の仕事も、鬱の波に見舞われると難行苦行に。「大丈夫だ。死なない。死なない。きっと良くなる。良くなる。飛び降りるな。飛び降りるな」と唱えながら、校舎の渡り廊下を歩いていた。あまりのことに2007年度で、2つあったうち一方の非常勤を辞めさせてもらう。これで無理なく仕事楽しめるかな、というのは大甘で、もう一方の大学からは切られる。2008年春、完全失職。ガッカリして8ヶ月寝込む。鬱最悪。

それ以降、家族に食べさせてもらう無職状態を何年も。くりかへす気分のあだ波に、起き上がっては倒れることの繰り返し。危なっかしくて怖くて求職活動をしようという気も起こらないまま年齢だけが上がっていく。「パートさん募集!45歳ぐらいまで」……って、もうあかんやん、あたし!

とかなんとか“大人の引きこもり”を極めていた私ですが、たまたまお食事会で隣に座ったタカハシ室長から「無職・イン・レジデンス」と書かれた名刺を渡され、そのインパクトにノックアウトされ、興味を持ち、室員となって現在に到ります。あれ、最近、なんかメンタルの波が穏やかになってきたかも。宿命的だった肩こりもマシになったかも。無職・イン・レジデンス、美容と健康にいいかも???

[ 2015.1.27(tue) 11:43 ]

Yuko Nexus6
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松本 渉

松本 渉

コメント
無職研究室がどういうとこか、まだよくわかりません。無職や研究と関係あるのか、あるいはそうしたものと全く関わりなく、別の何かを達成する場所なのか。それらは全て謎に包まれたまま。そんなふりをしている。

[ 2015.1.27(tue) 17:52 ]

松本渉(まつもとわたる)
松本渉です。職業 アルバイト。社員歴なし。年齢 50歳。年収 約200万円。貯金なし。最終学歴 高校卒業。最近、原因がよくわからないんですが、股関節に水がたまって歩けなくなりそうでした。今、松葉杖をついて歩いています。こないだアスファルトの上で乾きそうになってたミミズを助けました。

田中 保帆(2015.5.7 退室)

田中 保帆

【所信表明】
「もう分かった」と思ったとき、人と人とのコミュニケーションは終わる。 そういう話を誰かとしていたころに、無職研究室が設立されました。

「研究」ということは終わりがないということです。

私が接してきた障害をもっている人たちや釜ヶ崎のおっちゃんたちはどうも私とは文化圏が違っているようで、思いもよらない言動をして私を驚かせてくれます。
「もう分かった」なんて、これっぽっちも思わせてくれません。

知れば知るほどに、相手のことはおろか自分のことすら分からなくなる。 あなたと私、常識と非常識、日常と非日常…ありとあらゆる境目が曖昧になっていく。 私はそれをたまらなく楽しく感じています。

無職とは、働くとは、研究とは…

答えのない問いをぐるぐる考え続けること。 全然分からないけれど、いや、分からないからこそ、 そこには確かな豊かさがあるように思います。

[ 2015.1.27(tue) 23:29 ]

田中保帆(たなかやすほ) Twitter
1988年大阪生まれ。保育士。京都造形芸術大学こども芸術学科1期生。
2011年4月~2014年7月NPO法人クリエイティブサポートレッツ、アルス・ノヴァに勤務。
主に障害をもつこどもとあそんで過ごす。
お酒と料理と旅が好き。NPO法人ココルーム、臨時スタッフ。

メリ山ケン太

メリ山ケン太

そもそも「職」とは何か?
職→役目柄に対しての仕事/生計を立てる為の仕事。
との、事らしい。
一般的に「無職」と言うと後者の「生計を立てる仕事をしていない人」と思うわけで。私もそうだと思っていました。
しかし、これを前者とし、聞き馴染みのある言葉に言い換えると「自分探しをしている人」になるのではないのか。
そんな所に思い至りました。
自分がなりたいモノもわからないのに、何者かになりたいと思う人が増えたと思います。
随分と贅沢な悩みだと思います。
しかし、そういう人が多いのであれば。悩み解消の為のノウハウが存在すれば、何方様かの役には立つ様な気がします。
その為に有る「無職研究室」ならば、参加するのも面白いのではないか。と。
生計の立つ仕事をしていなくても、例えば誰かの為に拵える飯が美味い。パソコンで困ったら助けてくれる。ソレも立派な「職=役目柄」だと思います。
タカハシくんの掲げる無職IRと、私の思う所が噛み合っているのかどうか。更に具体的にどんな活動をするのか。全てに於いて謎なのですが。
ソレでも良いなら良いんじゃないか。ソレで良いんやと思います。

[ 2015.6.11(thu) 20:37 ]

メリ山ケン太 Twitter
1979年10月生。
愛知県名古屋市出身、18歳の時に大阪芸術大学文芸学科入学に伴い大阪に移住。
21歳から音楽企画を始め、24歳でインディーレーベルSUTEKI RECORDを始めるも第一次結婚・就活ブームにより看板バンドが活動休止。仕方がないのでレーベルも活動休止。
28歳に御縁があって、大阪の老舗レーベルGYUUNE CASSETEのスタッフとなり、傘下レーベルとしてmediscoを開設。
30歳で第二次結婚・就活ブームが来るも、完全に乗り遅れてしまい、人生にブレが生じる。
「手に職が就きますよ。」と言う甘露な言葉に惹かれて諸口流断易(易占)に弟子入り。
まさかの占い師見習いとなる。
現在は派遣OLとして日銭を稼ぎつつ、気紛れに音楽企画や占い業を行っています。
大阪と名古屋を行き来しながら楽しく暮らしています。
将来の夢は、伝統工芸士になる事です。(オプションで占いも出来ます。)

頂戴したコメント

米田量

米田量

木曜日は、タカハシセイジさんの無職・イン・レジデンスの報告会に参加する。怒りが動機としてあると聞いた時に腑に落ちる気がした。
「働いていても職がない状態が存在している、つまり全人類、みな無職である」という言葉は、松本哉さんが実は全ての人が貧乏人だといっていたのと通じるところがあるのかなと思ったり。
「無職」と「貧乏」はともに持っていないということが共通点かと。
「普通」とかいうと、それだけで何かが隠される。全ての人は貧困だ、といってみると、見えないようにされていたものに向き合う意識になる。いつまでたっても全ての人は貧困だ。
そうするとフラットだし、やさしさが生まれる。どうであれ生きていくし、足りないから、よくも悪くも何かを生みださざるを得ない。
報告の後、お好み焼き屋に行って3人で3時まで話しをした。
アートの話しは門外漢だけれど、見えない関係性の動きをとらえ、固まってしまった構造を破綻させるようなところは、僕が関心を持っているところと通じていると思う。
自分と違う角度やアプローチで探究され、確かめられたものの話しをきいていると、それは欠乏していた栄養素みたいに体に入ってくる。
自分は、いわば話しの貧困のなかにいた。一般論はどうでもよくて、誰かにとって需要が大きく切実で、それに対する供給がなければそれは貧困だと思う。
必要な話しに出会えない。やりたい話しができない。自分の関心と人の関心が違う。大学時代からどうすればこの話しの貧困状況を変えられるのかと不十分ながら試行錯誤してきた。
自分が自分の分野で確かめてきたことや確かめつつあることと、自分と違う分野の人が追究して確かめてきたことが重なる構造を持つという時に、僕は満足な話しができた気がする。
自分が詰まっていること、時代が詰まっていることをどこかの誰かはピンポイントで悠々と超えていて、しかもそのことは当人にとって当たり前すぎて、
その超えている意味合いに気づいてすらいないということが、世界にありふれている。話しを聞くときの満足感はあとそういうところにもあるなと思う。

[ 2016.12.6(tue) 0:45 ]

米田量
1975年生。中学2年で不登校になり、人間の変化、回復に関心を持つ。
大学では臨床心理学科に入るも「治療」という設定ではない変化の場を探して変化に関わる周辺領域に目を向けはじめる。

大学院では人類学に移り、四国八十八カ所めぐりを研究。
転機にある人が巡礼を利用し、変化していくあり方を探理、変化は人に内在する自律性の展開であり、自意識のあり方を含めた環境の整えと阻害要因の取り除きが重要であると知る。

2014年にアズワンネットワーク鈴鹿コミュニティに出会い、自分に取り込んでしまい自動化している思考様式、反応様式を対話による観察によって脱していくあり方を知り、
最近はそこに準じるアプローチとして哲学カフェ、当事者研究、オープンダイアローグ、インプロなどを組み合わせた場を模索中。

共著に『幸せをはこぶ会社 おふくろさん弁当』(アズワンネットワーク出版)
降りていくブログ ー生き残りながら回復していくためにー

フィッシュ明子

フィッシュ明子

幼い子どもは全身が感覚器官なので、何かを見るだけでなく触ったり、口に入れたりして身体を使って確かめます
子どもはよくぶつかったりころんだりしますが、それは自分とそれ以外のものの区別がついていないからでもあります
ぶつかって転んで、皮膚感覚で自分の境界線が分かり、自分という意識ができていきます
だからたくさん転んだ子どもは、自分の存在をよく分かっているのかもしれません

多くの子どもはしっかり転ばないまま大人になる
大人になると身体的に転ぶことは許されないから、ぼんやりとした境界線のままお互い関わって自分と相手が同化してしまったり、「ここがいやだ」とか「こうなってほしい」とか強く願って相手を追い詰めたり自分を追い詰めたりして苦しみます

無職・イン・レジデンスはタカハシさんが作った疑似家族のようですね
一番容赦なくぶつかれる相手として、赤の他人ともっともあり得ない状況で家族を作り、ぶつかりあって自分の身体感覚を取り戻していく
そんな原始的なプロセスを、目撃したように思います

[ 2016.11.30(wed) 21:34 ]

フィッシュ明子
social work hacker
すぐれた教育は治療であるという考えに基づき0才から70代までを対象にしたホリスティック教育にかかわる
ケアするひとをケアする読書プロジェクト「えほんカフェ」
ケアする人をケアするダンスプロジェクト「ヘルパーズ」
不便をデザインする展覧会「DisablyLand」ほか
Twitter

陸奥賢

陸奥賢

タイトル:「無職・イン・レジデンスの半分は甘えで、半分は優しさでできている」

2016/05/13 18:21。タカハシ ‘タカカーン’ セイジ「しょうようしゃで無職・イン・レジデンスできたらよいのですが…」

2016/05/13 18:22。陸奥 賢「お?やる?w」

…とFacebook上で軽いやりとりがメッセージで始まり、社会実験塾・逍遙舎で「無職・イン・レジデンス」をやることになりました。そのうち告知が始まるでしょう。いやぁ、どうなるかなぁ・・・。

以下はタカハシくんから「無職・イン・レジデンスについてコメントをください~」といわれたのでコメント。

「無職・イン・レジデンス」については、ぼくはようわからんです。そもそもタカハシくんは言葉が多い。ようしゃべるやっちゃ…なんですが、ひとつひとつの言葉に彼独自の意味というか意義というか解釈があって、ようわからんのですなぁ。

つまり、ぼくの考える「無職」とタカハシくんの考える「無職」と、すでに、どうも、意味や意義や解釈が違うっぽい。タカハシくんは「人類みな無職」とか「働いてる無職もいる」とかいうわけで、それについてぼくが「ようわからんな。なんやそれ?」と聞くと、彼は必死になってなにかしら言葉を出して答えてくれるんですが、それがまた「無職スペクトラム」とか「無職・イン・エクスカーション」とか「あらゆる人々の無職性を抽出して無職の幅を知る」とかいいだして、はっきりいって説明になってない。

説明になってないんやけども、あんまりもタカハシくんが必死のパッチなんで、なにかしら、彼なりの情熱のようなもんを感じるわけですな。それで「優しい人」ほど「ああ。なんかよくわからないけど、こんなに必死になって無職・イン・レジデンスというてるんだからわかってあげなきゃ…」と憐憫の情が湧いてきて勝手に無職・イン・レジデンスを自分独自に解釈しはじめて、タカハシくん以上に無職・イン・レジデンスの存在意義や意味、社会性を考えて、ある種の悟性に至る…というわけです。

タカハシくんのそういう相手次第、相手任せな部分を「甘えてる」ということも可能ですわな(彼は実際「甘え上手」な男でもあります)。まぁ、だから、しかし「優しい人」ほど、無職・イン・レジデンスから得るものは多いのかもしれない。そしてそういう「優しい人」は無職の人に多い気がする。無職・イン・レジデンスに可能性があるとすれば、たぶん、ココなんやないか?と思いますな。

「甘え」と「優しさ」の幸福な錯誤。

[ 2016.5.25(wed) 15:15 ]

陸奥賢
観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者
1978年大阪生まれ。中卒。バツイチ。
むつさとしのブログ
facebook

サトウアヤコ

サトウアヤコ

2015年春。大阪の此花。

滞在(通い含む)していたという「無職」の人たちが2週間ぐらい一緒に過ごしてきたんだな、と思える空気を出していて、少しだけでも生活を共有した感じががうらやましいと思った。

そこに混ぜてもらって、夜の町を歩いて買出しに行ったり、近くのスペースでやっていたトークイベントを少し覗いたり、戻ってきて話をしたり、いろんな人が出入りするのを見ていたり。

みんな、そこにいる人が誰かよくわからないまま、お互い何者でもなく、食べたり笑ったり話したりして、また次の機会に会えたらと思いながら、でも期間限定のこの場所は今日でおしまいということも知っている。

「コミュニタス」ってこういう状態なんじゃないかと思う。

自由でいられる場所はそんなに多くない。たまに遭遇すると何か解放されたような気持ちになる。

[ 2015.10.13(tue) 13:19 ]

サトウアヤコ
mnamo works(リニューアル準備中)
mogu book日常記憶地図 主宰。
ディレクションやファシリテーションなど媒介・翻訳的立ち位置でweb制作や企画に携わる。
何かを介した間接的なコミュニケーション、言語化、見えにくい価値の掘り起こしがテーマ。

「カード・ダイアローグ -ちいさな対話の場をつくる方法-」 リリース準備中。

maricom

maricom

大阪の橋のむこうの此花に無職咲けりと聞くはまことか

[ 2015.12.01(tue) 0:28 ]

maricom https://twitter.com/maricomxxxxx

寓のモノロギスト

岸井 大輔(劇作家)

岸井 大輔(劇作家)

無職・イン・レジデンスの問題は、わかりやすすぎることです。

無職・イン・レジデンスというのは極めてわかりやすいアイデアです。まず、無職の人にも住居を、ということであり、次に、行政に頼っていられない出来ることから自分でやろう、ということであり、最後に、できなくもないし思いつくよりやる方が大事だ、ということです。
ということで、問題はわかりにくいことではない。やるかどうか、ということです。やって、もめて、闘って、鍛え上げられて、逃げ出して、困って、揉めて。そういうことしかおきないことの繰り返しの中で、タカハシくんが何をつかむのかを楽しみにしています。

2014.7.28 岸井 大輔(劇作家)

労働解放戦線(略称LLF)

LLF

『無職…それは人類に残された最後の開拓地である。そこには人類の想像を絶する新しい文化、新しい生活が待ち受けているに違いない』。ここではないどこか、もうひとつの世界を求めて、宇宙に旅立ち、未知の惑星で無職と遭遇する『無職大作戦』。改め『無職・イン・レジデンス』。それは驚異に満ちた物語。

レジデンス・スペースを襲う様々なアクシデント。寝タバコの不始末でボヤ騒ぎ発生。パチンコ屋で店員とモメて警察に拘留。帰ってきたら部屋で首吊って死んでる。そんなんだっていいじゃないか。いいんだよ、なんだって。無職でさえあれば。働かないのが大事なんだ。労働を人間から解放せよ!労働者を労働から解放するんじゃないですよ。労働を人間社会から開放するのです。

労働の立場に立って考えてみるのが抽象的でムズいよっていうなら、人の側から言うとこうだ。労働は社会関係そのものなので、労働解放思想の持ち主はパッと見では引きこもりみたいに見えます。外見はスネップですよ。スネた感じのプー。ニートの出世したやつ。孤立無業。英語でSNEP。詳細はググって下さい。

そんな感じのレジデントが籠っている部屋を『SNEP細胞』と言います(細胞の原義は部屋)。彼や彼女は単なるヒッキーではなく労働解放の戦士です。なので当然、実験ノートをつけている。しかし、ノートの記録は労働ではないのか?そんな根本的な疑問を解消するため、労働解放戦線からwebカメラ12台が提供されます。昔、ダイマル・ラケットが「オロナイン3つあげます」と言ってたよ。それを4回言って下さい。カメラ1年分プレゼント!そして「無職・イン・レジデンス」に幸あれ!とみんなで祈ります。

2014.4.25 労働解放戦線

労働解放戦線
労働解放戦線は「労働を人間から解放する」を合言葉に活動する団体。組織やウェブサイトなどはありません。労働を解放しようと思ったとき、いつでもあなたは労働解放戦線のメンバーです。

メガネヤ 市川ヨウヘイ

メガネヤ 市川ヨウヘイ

無職・イン・レジデンス。

そのイリュージョンな命名からコペルニクス的な発見とも目され、界隈ではにわかに注目を浴びつつも、いまだその全容が見えず。
それでも、「○○○○細胞はあります!」と言わんばかりのタカハシくんの強気の姿勢は「有力な仮説」として存在する事を多くの人の心に刻んでいます。

あるとき「仕事が無くなったら、タカハシくんところの無職・イン・レジデンスにいったらいいし…」
という発言を友人から聞いた時、僕は無職・イン・レジデンスはまだ無いのに既にあると確信しました。

宇宙には見えないものがあってそれが無いと説明できない事がたくさんあるそうです。その名前を「暗黒物質」というそうですが、ほとんどそれと同じですね。

最後にwikipediaの「暗黒物質」の説明を貼付けておきます。

暗黒物質(あんこくぶっしつ、dark matter )とは、宇宙にある星間物質のうち電磁相互作用をせずかつ色電荷を持たない、光学的には観測できないとされる仮説上の物質である。「ダークマター」とも呼ばれる。”人間が見知ることが出来る物質とはほとんど反応しない”などともされており、そもそも本当に存在するのか、もし存在するとしたらどのような正体なのか、何で出来ているか、未だに確認されておらず、不明のままである。

2014.4.18 メガネヤ 市川ヨウヘイ

メガネヤ 市川ヨウヘイ https://twitter.com/meganeya

一般批評学会 岩淵拓郎

一般批評学会 岩淵拓郎

タカハシ君、何もないのに何も書けないよw

とは言え、何もない「無職・イン・レジデンス」のサイトには、「滞在/暮らしに視点を置き、結果に重きを置かない取り組みです」という、簡潔すぎてよく分からない一文が掲載されている。よく分からないが、彼は自分が(1)そこに生息し、かつ(2)どこにも属さないということをひとつの生き様として世に問うようだ。そして、明記こそされてはいないが、彼はどうやら現在仲間を探しているようである。

もはや一瞬何かが新しいと勘違いさせるほどに、全ての根拠が希薄だ。そのくせこちらに何かしらの態度を要求する。めんどくせぇ。で、どうしろと。風呂に入りながらぼんやり考えていると、なぜかドラクエのモンスターを思い浮かべた。根拠なくそこに存在し、理由もなく出会い、そして意味もなく戦闘(もしくは逃走)を強いる。

「タカハシがあらわれた」
「タカハシはただ暇そうに草を食べている」
「タカハシはなかまがほしそうにこちらをみている」

それ、モンスターっていうより村人だよね。でも、村人は基本的に仲間にはなってくれない。村人にはそれぞれの暮らしがある。武器や防具を売り、店を切り盛りし、そして仕事が終われば家族が待つ家に帰る。わけのわからん魔王だの何だのと戦う勇気も、価値観も、そして暇も持ちあわせてはいない。しかし、タカハシは無職である。いや、問題はむしろ「無職」より「イン・レジデンス」だろうか……。

ま、これぐらいで許してください。何がおこるのか、ぜんぜんわかりませんが、楽しみにしています。

2014.2.14 一般批評学会 岩淵拓郎

岩淵拓郎 https://twitter.com/mediapicnic
73年兵庫県宝塚市生まれ。演劇→バンド→サウンド・パフォーマンス→執筆と編集→美術→料理→ブログ→一般批評と映画祭(イマココ)。京都造形芸術大学講師。宝塚映画祭ディレクター。一般批評学会会員。美術家は2010年に廃業しました(キリッ

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