無職 イン レジデンス

第1弾 無職・イン・レジデンスから1年経ちました。レジデンス感想文です。

提出日:2016.4.7

「第1弾 無職・イン・レジデンスから1年経ちました」

タカハシ 'タカカーン' セイジ

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 ずーっと、もやもやしていました。

無職・イン・レジデンスのことを考え続け、第1弾の実施が終わってからも、そのこととはなんだったんだろう、それを他者にどうやって伝えれば、あの謎そのものが轟いていたような時間を保存するようなことはできるんだろうか…はやくドキュメントつくらなきゃなあって、逃げては追いつかれ、胸が詰まっていました。でも、無理。どうやっても文章ではこぼれおちる。ならば、少しだけでもあらわしておこう、ようやく今朝そう思えました。

 そして、レジデンスしてくれた無職に対しては、その期間中「期待しない」ことを約束として掲げていたのですが、レジデンス期間終了後、よかったらレジデンス感想文を書いてほしいとお願いしました。僕のテキストの下部には、レジデンス無職と無職研究室員の感想文を提出日順に並べています。読んでいると、泣けてきます。表記ゆれなどもそのまま掲載しています。

 今回レジデンスしてくれたのは、最初に応募してくれた方は採用後その方の事情により辞退されましたが、記憶が正しければ応募順に、武田力さん、中尾洋子さん、澤田萌子さん、上原岳さん、風間今日子さんの5名になります。レジデンスしてくれて、本当にありがとうございます。

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 ここ2〜3年程、「無職・イン・レジデンス」という言葉を発明してからというもの、それはどういうものなんだ?と自問したり、周囲に相談し続けてきました。

 今回の実施の条件を自ら定めました。それは、募集するレジデンス無職は、僕と直接的な知り合いでない成人していてニックネームでもよいが公に存在を明らかにしてもよい方であること、僕がレジデンス無職(当初は1名のみの募集だった。理由は僕のポケットマネーが底をついてしまうだろうと)とともに19日間滞在すること、僕はレジデンス無職に期待せず、「最低限の健康的で文化的な生活」を僕がレジデンス無職に保障すること、です。※詳しくは、当サイトにアップしている募集チラシのPDFデータをご覧ください。

 ようやく実現したのは、2015年になる前後、僕が失恋をしたのがひとつのきっかけでした。それに加えて、無職・イン・レジデンスのパクリがあらわれるそうだという噂をきき(結局、噂で終わったのですが…)、その瞬間ぼくの中で火がつきました。火、どころか大爆発を起こしました。すぐさま行動に移しました。そこに応えてくれたのが、このウェブサイトをつくってくれている小関幸さんであり、此花区で様々な取り組みをされている大川輝さんでした。この頃、僕は此花区に住んでいました。

 本当にすぐさま、大川さんから改装前の物件をお貸しいただけることになりました。そして、1ヶ月も経たないうちに、正確には半日でチラシをデザインしてもらい(ぼくは写真とテキスト、ディレクション的なことしかしていません)、ウェブサイトでもレジデンスしてくれる無職を募りました。そこからはバンドメイツかつ無職研究室員のYukoNexus6さんの協力もありながら大阪だけでなくレジデンス無職募集の広報旅を進めながら、レジデンス会場の掃除(元個人経営の居酒屋さんでしたので酒瓶などそのまま、物が大量にありました。)…ネズミの糞や朽ちた床材の撤去…神棚はどけるべきか…どこから手をつければ…そうそう、ここでも大川さんが壊れた冷蔵庫や空き瓶などの廃棄物を業者さんに頼み見事に撤去協力してくださったんだった…mizutamaくんにも掃除や開催期間中にカレーをつくりにきてくれたり、とにかく気にかけてもらい応援してもらったなあ。

 それから…順序はあいまいだけれど(写真の日付であとで確認してみます)HAPS(という名のアートセンター)のウェブサイトのレジデンス情報欄に、こちらから依頼されていないのに掲載されていたり。ありがたいことです。無職・イン・レジデンスはアート、ではないと思いますけれども。このウェブサイトをみて、武田力さんは応募を決めたようです。SjQというバンドの手伝いに行った先、東京都庭園美術館にてその日限り(と思われます)チラシを置かせてもらえたり、これは奇跡的だなあと思います。庭園美術館は、自主企画のチラシしか置いていらっしゃらないようでしたから。そのバンドの本番前に、Yukoさんから編集者をご紹介いただいて。募集、広報のことはこれくらいにしといて…でも、僕にとっても全貌が掴めていないこの取り組みに対して、想像以上の反響をもらえて、だからこそ、レジデンス無職に応募いただけ、その後につながったと思います。

僕が逆面接してもらったこと。

 レジデンスしないレジデンス無職の方である(中尾)洋子さん、(澤田)萌子さん、みかんくん(上原岳さん)、風間(今日子)さんが現れてくれたおかげで、懸念していた予算不足を乗り越えられると判断できたこと、でも、結果的には破産したこと、岡山への旅行が期間中にあって、武田力さんだけはついてくるとのことだったので個人的には資金面で大ダメージだったこと、でもそんなことがあったから夜中に突然岡山で知り合った方々がレジデンス会場に来てくれて、りっきー(武田さんのことを当時からこう呼んでいた)や地域の人も交えて対話が起こったこと、とにかく無職・イン・レジデンスは作品なのか?ということをりっきーと議論し続けたこと、失恋で心に痛手を負った友人がシェルター的に極限状態のときは利用したこと、恋のようなものが起こったこと、

なんだか、情報という情報、現象という現象が空気を圧縮していき、短期的に脳が擦り切れるほど回転していました。全部日常で、日常的で。

 同時期に知的障害者の方の作業所で創作補助的な業務を担って働いていたのですが、どうにもこうにも、この無職・イン・レジデンスが起こっている空間に身をできるだけ近づけたくて、もちろんその職場に対しての積もった想いもあり、その仕事を期間途中、ちょうど中間地点くらいに突然辞めることを告げ、多大な迷惑をかけました。その翌日からは会社を休み続けました。

 レジデンスが始まる前に一度支援をお願いしたとはいえ、もともとあった「このはな」コミュニティの力を感じたのですが、日々日々、見学者が次々に来て、そして手土産に食材をたくさんもらいました。スタート直後、CAPに不用品をもらいにりっきーと行き、実家の自家用車パンパンに荷物を詰め込んだり、その時にりっきーが荷物をすっきり詰め込む技術を見せつけてくれて高校生の頃引越しバイトをしていたことを知ったり。僕は、親心かなんなのか、最低限の健康的で文化的な生活と言いながら、もらえるものは全てもらってなんとかこの場所を快適にしなくては、と躍起にやっていました。岡山旅の前夜、りっきーとYukoさんちに泊まりに行く道中、元々職場の同僚宅にも陶器やガスコンロ(ガスなんて引かれていなかったのに)をもらいに行ったり。今でもその荷物のほとんどは実家の部屋に詰め込まれています。

 ああ、そういえば、思い出としては、初夜が春とはいえ氷点下を下回り、割れた窓ガラス、気密性ももちろん断熱材も使われていそうにもない木造住宅で寝袋ひとつふたつで寝ていた、りっきーと僕は、うっすら死を覚悟したんでした。りっきーは翌朝あたりに「横浜に帰ろうかと思っちゃったよー(笑)」と冗談を言えていたので、よかったです。それから石油ストーブで1階…あ、この会場は1階が居酒屋だったので、カウンターが残っていたり、トイレも1階でしたね。後に、ふらりと覗いてきたおじさまがここの2階に居酒屋が仕舞われるまで住んでいたらしく、3部屋全てで家賃も安かったから助かったんだよーと、灯りがついてるから、この店を経営していたおばあちゃん、去年の段階ではご存命とのこと、の親戚か誰かが何かをやっているのかなあと、懐かしくなってつい入り口の扉を開けてしまったと。こういうこと、あるんですね。こういうコミュニケーションは初めての経験でした。ちょっと、また泣きそうになりますよ。

 ああ、話は戻り、1階で石油ストーブを焚き、2階の別々の部屋で眠っていたのですが、これまた翌朝起きたら事件が。真っ黒な鼻水が出たんですね、お互い。なんなんだと、これは。石油ストーブのススだと知るのに1日以上はかかったような気がします。

 ついついりっきーがレジデンスしていた時間が長い為、彼との思い出話が中心となってしまうのですが、みかんくんが新聞配達の住み込みバイトをしていて、寮住まいだったわけですが、確か最後の夜だったかな、夢だったという押入れで寝袋で眠るということをしにきてくれたり、彼の依頼で期間中に、僕はつくったことのないラップのトラックをつくってみたり、それを近くでmizutamaくんがやっているスペースFIGYAで公開レコーディングしたり。みかんくんは、とても社会に憤りを持っているように見受けられて、思い詰めているような発言も多く。でも、キャラクターはとても陽気で、Yukoさんと波長が合っているように見えたなあ。彼はレジデンス期間中に面接をしてくれたんだったっけ。風間さんは確実にそうだったな。問い合わせはかなり早い時期にもらっていた。風間さんは、レジデンスする立場なのに、この場所を記録したいと提案してくれて、定点記録写真撮影の方法を誰もいない時に、スケッチブックに丁寧に手書きで文字や図を記入した指示書を置いていってくれた。 萌子さんはとても不思議な人だった。独自の言葉と振る舞いを持っていて、主に思春期のことを振り返って話した。洋子さんも、通いでレジデンスしたい、様子を見ながら参加したいとのことで、電車賃のことを気にかけてたので、それは最低限払いますと申し出たのに、遠慮されてしまって…後悔。りっきーは、何から何まで、この「最低限の健康的で文化的な生活のライン」を探るために、僕に何度もレシートを突きつけ、議論を引き起こしてきました。その都度、僕から支払う額を理由を添えて提示し、話し合いました。それは彼の親切のようなもので、無職・イン・レジデンスならではのコミュニケーションを意識的にとってくれたのでしょう。

 またまた唐突ではありますが、結局、この取り組みは芸術作品として扱われるものではない、というのが今の僕の決意ですけれども、メッセージとしては、「最低限の健康的で文化的な生活」を誰が論じていて、それをおしなべて最適であると決定できるのだろうか?という僕自身の社会に対する問いがあることは確かです。それぞれの事情は制度に反映されていて、不安なく、日々を送れているのだろうか?いや、そんなことはない、と。ならば、主に成人、社会人が、せめてその期間だけは、金銭的に、精神的に、安心して過ごせる空間、「次」を迫られないこと、を用意できたときに、人の今までとは違った社会への再接続や、潜在的な能力があらわれてくるんじゃないだろうか、とこの活動を行いたいと思った、ある種の目的というか試みの核だと今でも捉えています。そういう空間を用意できたか、それぞれのレジデンス無職にとってどうだったのか、厳密に計ることができなかったからこそ、こうやってもやもやと、ドキュメントにできない僕がいるのでしょう。自分自身が欲しいしくみのようなものや空間、この感じ、そして自分みたいな人に出会いたいのかもしれない。決して同族意識ではない。それは達成できたかもしれません。個々人の世界や思考はきっとこうやって拡がっていくのだと、まだ、ここ、だけに留まらず、やっていきたいです。

提出日:2015.4.30

「無職・イン・レジデンスに寄せて」

上原岳 a.k.a 腐ってもみかん

無職・イン・レジデンス?なにそれハァ? でも中身はどうしてすごくインテリジェンス 世間の常識「まずは働け」 口先ばかりは一人前だけどお前は一体何やってんの? なんて言われてもどこ吹く風てなくらい軽やかに生きていたい 確かに労働は必要かもな だけどお金はそんな要らない 例えば主婦だって家事労働 してるのに世間じゃ「無職」と呼ばれる それがそもそもおかしくね? 俺たちはみんな同じ船で違う役割こなしてるだけ なのに金が払われるかどうか だけが基準で区切られる「仕事」の概念をまずは問い直したいね そんな目論見で参加してみた 仕事じゃないけど何かしてみた そしたらこんなリリックが書けた 俺にはどうやらラップだけ こんな世の中はファックだぜ って本気で思うから離さないマイク いつまで続けられる?このスタイル って自問の答えは当然死ぬまで

提出日:2015.5.13

「『擬似』の価値ーー遠慮、配慮、考慮」

YukoNexus6

「僕はシェアなんか大嫌いだ! 僕は擬似家族が欲しいんだ!!」 安治川FLOATの屋上で、タカハシくんが夕陽に向かって叫ぶのを聞いた。「わー」って思った。「わーー」

レジデンス期間中の3月31日、自転車に乗っていたら、ふっと降りてきた。 「あ、私、すでに無職•イン•レジデンスやってたわ」 無職の人間が、健康で文化的な最低限度の生活を、一緒に過ごしてもいいと思う他者と送り、衣食住を保障してもらう。それって、7年前の春に無職になって以来、私がやってる生活と何ら変わらない。パートナーが金を稼ぎ、彼の勤務先の寮に住んで、彼のお金で本を買い、映画に行き、旅行する……はたから見れば事実婚というやつだが、自分の感覚的には居候に近い。書生とか食客てのもあるね。ちなみに辞書によると食客の定義は「申し訳程度の用をして、他人に養ってもらう人間」だそうで、まさに私。

「結婚してなくても親子じゃなくても、人は誰かを扶養することが出来るんだよ。私は彼の扶養家族だから、社会保険的にいえば“3号被保険者”になるんだ」と、自分の立場を説明した時、タカハシくんは「3号ですか。なんかロボットみたいでかっこいいですね!」と言った。そうかー、3号被保険者かっこいいすか(ほぼ主婦の人やけど)。そーかそーか、主婦かっこいーかもねー。で、食客で書生。相当歳とってるけどね~。

人によって家族に対する考え方は違うと思うけど、タカハシくんが「家族が欲しい」ではなく「擬似家族が欲しい」といって無職・イン・レジデンスをやっていることは、実はけっこう深い、と思う。私にとって家族は、遠慮がなくて距離が近いからお互い考えなしに傷つけちゃう関係性だ。他人にだったらわきまえて絶対言わないようなことを、家族には言ってしまって機嫌を損ねるけど、それを悪いとも思わない。「えー!? 家族っていいものだよ」っていわれそうだけど、たまたましんどい家族で育ってしまったんだからしょーがない。

「擬似」家族ごっこには、世の家族が陥りがちなトラップを巧妙に避けるヒントが隠れてる気がする。親しくしてても最低限度の礼儀を守る。ちょっとしたことでもいちいちお礼を言う。そんな遠慮の部分には他者への配慮や生活への考慮が含まれているはずだから。なんというか、希望がある気がする。

実際の無職・イン・レジデンスが、そのような遠慮、配慮、考慮をもって行われたのかどうか、私は知らない。いっちょかみで、たまにお邪魔していただけなので、すべてを見たわけじゃない。けれど「あなたはただ過ごすだけです」と、レジデンスする無職さんたちに一切期待せず始まり終わった日々の中から、けっこうな制作物が実際に生まれたんだよね? ヒップホップの曲とか演劇作品の上演とか、作られてその場で消えていく料理も、旅も、おしゃべりも……うん、シェアではこうはいかなかったかもしれない。

ところで、私も無職・イン・レジデンスをやってみることにした。創始者であるタカハシくんには敬意を払いつつも、自分の解釈でやってみよう。すでに「健康で文化的な最低限度の生活」はパートナーによって保障されているので、Yukoバージョンでは「それ以上の生活」を請け合うのだ。無職といってもわずかながら月収はあって、その予算内で自分で自分をレジデンスしてあげるーーなぁに、ちょっと贅沢したときの支出を意識的におこづかい帳につけておく、だけのこと。でもまるでレジデンス経理担当の出来るNPO職員みたい! 面倒だと思っていたことが、新鮮でカッコよくっていい感じ。擬似NPO、擬似企業、擬似恋愛、擬似家族……もう世の中全部「擬似」の方が面白いって気がしてくるよ、タカハシくん!

提出日:2015.6.7

「無題」

松本渉(無職研究室員)

筆者が高橋さんから「無職インレジデンス」の構想を初めて聞いたのは、此花のレジデンスの1年程前、2014年だったかと思う。それは、無職の人が無職のまま暮らすことが出来る場所を作りたいというものだった。 福祉事業のようにも聞こえる話だが、アーティストインレジデンスから名前を借りている通り、実際はなにもしていない人物を滞在制作アーティストのように見立てる実験で、そのレジデンススペースが人が集まる溜まり場のようになるということではないかと、話を聞いたときはそう思った。90年代に評判になった「だめ連」のようなものを連想した。 高橋さんは自身が失職したときにイベントスペースのFLOATでしばらく居候暮らしをしており、その時の体験を自分以外の誰かでも再現しようとしているようだった。実体験をもとにしているので、実施のイメージはあるが、それがどういう展開をするのか、「無職インレジデンス」は結局何をする試みなのか、といったコンセプトは曖昧なように感じた。 現実には、滞在場所の確保や資金調達に時間がかかるだろうし、実現もかなり先だろうから、いろんなことはその間に考えるんだろうと思っていたら、高橋さんは実に精力的に「無職インレジデンス」の広報活動を進め、翌年2015年に実現した。 当時、筆者の危惧は、「無職インレジデンス」が何をするプロジェクトかを曖昧なまま実施すると、結局友達が集う溜まり場になって、それは楽しいものだと思うが、その場で消費されてあとに何も残らないだろう、というものだった。パーティと同じで、その時その場が盛り上がればそれでいい、というならあとに何かを残す必要もないが、「無職インレジデンス」は実施目的を持ったプロジェクトのようにも見える。2015年の3月から始めると聞いたとき、そんな行き当たりばったりに始めて大丈夫か、と正直そう思った。 しかし、レジデンスのアーティストが本当にアーティストである武田力さんになり(他に短期滞在者が3人)、実際に滞在制作が行われ、実施3週間の間に数回のイベントがあり、様々な訪問者で賑わい、イベントとしては予想外の成功を収めたと思われる。それでも「無職インレジデンス」の持つ問題は全く解消されていない。 此花での「無職インレジデンス」の具体的内容は映像記録などがあると思うので、そちらに譲って、以下に筆者が考える「無職インレジデンス」の問題点を述べたい。 「無職インレジデンス」とは、滞在者がアーティストであろうが何をしている人物であろうが(あるいは人でなくても)、その者を無職者として、何もしなくてもよい暮らしを一定期間させるというものである。こう説明すると、「無職インレジデンス」が「職業」や「無職」あるいは「何もしなくて良い」ことについて人に何かを考察させたり、あるいは「アーティストインレジデンス」というシステムへの批評的実践ではないかという期待を抱かせるかもしれない。本来的にそういうものであるし、そうなり得るものであるが、実際にはそうなっていない。それはなぜかということである。
※続きは、無職・イン・レジデンス再開後に、とのことです。

提出日:2015.6.22

「無職IRレポ」

田中保帆(元無職研究室員)

 1年ほど前に仕事を辞めた。住んでいた家を引き払って、家財はほとんど人に譲って、最低限の荷物をもって、住んでいた街にさよならをした。それほど、好きな街でもなかった。  お腹がすけばコンビニやスーパーでお惣菜やお弁当を買えばよかった。ビジネスホテルに泊まって、安い服はどこでもたくさん売ってるし、情報はネットで簡単に手に入る。社会は1人で生きていくのが簡単なようにできている。速くて、キレイで、便利で、優秀で、完璧なのが正しい。そういう価値観は人をどんどん孤独にしていく。

 貯金を切り崩しながら、仕事もお金も家もなくフラフラしていたら、「うち住んでもいいよ」という人がいて、「ちょっと仕事してくれない?」という人がいて、たいした苦労もしていないのに、今日も楽しい。

 いつも誰かが助けてくれて、当たり前なことが当たり前にそばにあって、いつもご飯がおいしかった。疲れて帰って1人でコンビニ弁当を食べて缶ビールをあおる日なんてなくて、仕事もお金も家もないのに、気がつけば全部持っていたころよりもよっぽどいい生活をしている。

 私はふらふらしながら、まだちょっと罪悪感があるのだけれど、タカハシくんを見てると、こんなに人にもたれかかって生きていても大丈夫なんだなぁと感心する。自立をはき違えた社会の中で1人で頑張って生きていかなくても、助けてくれる人がいる。なんなのか分からない無職・ イン・レジデンスに引っ張られた人たちが出会う。人があつまれば、なにかが起こる。ぐるぐる。

 無職・イン・レジデンスが終わってほどなくして、私は無職研究室を辞めることにした。タカハシくんに疲れたからだ。私が辞めたらまた違う人が現れて、タカハシくんは相変わらずもたれかかって生きていく。まぁ、そういうのも、いいんじゃない。みんなでもたれかかれるほうが、完璧なのをめざしていくよりも楽しそう。

提出日:2015.6.26

「やさしさについて考える現在とき

武田力

 民俗芸能滅びゆく昨今の日本において、通過儀礼的な意味合いを内包する小学校の「自然教室」や「修学旅行」。家庭から何百という子どもたちを一斉に連れ出し、「集団行動」という名の規律下へ強制的に置く宿泊行事の引率を、昨年よりやらせていただいております。何校かを年を跨いで担当すると、わたしにも客観的な「マレビト」的立ち位置が確立できるようになり、学級がひとつの国として浮かび上がってくる点、たいへん興味を抱かされます。日常の子どもたちの様子から先生は宿泊行事における行動の線引きを行い、「ここまでは良い。ここからは悪い」といった条件を子どもたちに与えます。その線引きは“良い子”(先生に従順な聞き分けの良い子。また、そういった子ほど成績が良い傾向にある)に基準があるのではなく、“悪い子”(要は、良い子を良い子たらしめる価値を与える子ども)にあることが多い。だから「(放っておくと危ないから)一列になって歩きなさい」とか、「(なにをしだすか分からないから)校帽を必ず被りなさい」といった声掛けが学級全体に対して必要となり、それを守れない、いわゆる“悪い子”は集団規律を乱したことを理由に怒られたりするわけです。
 なんでこんな話をしているかというと、『無職・イン・レジデンス』も、わたしが行った『踊り念仏プロジェクト※』も、「日常における線引き」をめぐる作品であるからです。『無職』においては、生活保護等を受ける“弱者”への支援のあり方や、その定義の問い直しを。『踊り念仏』は、道路にまつわる規制から国を読み解き、そこに生きる「わたし」のあり方を再思考する。共に日常生活をメタフォリカルに捉えなおし、「仮の線」を引いてみる点に価値があるのだろうと思います。そうやって日常を思考するとき、小学校はミニマムにその国を仮定しやすく、また子どもたちはいずれこの国を担うので、彼らの悟性に刻まれていく“日本的良い子”の概念はこの場合、参照に値します。
 では、国と仮定した学級に民主主義は機能しているのか? その点、「マレビト」のわたしには確信が持てません。教員は先生として子どもたちに接します。つまり、子どもを子どもとして蔑まず、彼らの一挙手一投足に敬いを見出し、インタラクティブにやり取りが出来ているか。大勢を前にそれは難しく、理想論にも近いことです。先生もひとりの人間ですから…なんて言い訳がましいことを言えば、そんな諦念に殺される子どもの内面 (人格とも言い換え可能でしょう)もまたあるわけです。そして、先生を総理大臣、子どもを我々一般市民と充てて冒頭から読み直していただければ、わたしがなにを伝えたいのかご理解いただけると思います。同じく“弱者”とも評される子どもの、また一般市民の、殺されゆく内面を救うことは可能なのでしょうか?
 『無職・イン・レジデンス』にせよ、『踊り念仏プロジェクト』にせよ、芸術はそういった“弱者”や“悪い子”に価値を見出す媒介となるべきではないか、わたしはそう思います。タカハシさんは今回、わたしを「無職」として受け入れ、わたしも「無職」として振る舞いました。でも残念ながら、わたしはタカハシさんが定義するところの「無職」から最も遠いところにあります。人間が生活において担う(または、担わされる)様々な役割を仕事と仮定し、「働いている無職もいるのではないか?」という仮説からスタートしている『無職・イン・レジデンス』は、逆もまたしかり、「働いていない(つまりは、働けていない)有職(者)もいるのではないか?」という構造になっています。タカハシさんが「人類みな無職」と言い切れる所以もそこにあるのでしょう。しかしわたしは、世間的に自分が無職であることへの迷いや恐れがすでにないので、本作においてわたしは弱者のふりをしている強者に過ぎません。そして、わたしが演じた「無職」は、聞き分けの良い“日本的良い子”な「無職」でした。それではどこまで行ってもメタフォリカルな構造から日常を掴み出すことは出来ません。
 さらに言えば『無職・イン・レジデンス』にせよ、『踊り念仏プロジェクト』にせよ、失敗したときが一番面白いのだと思います。つまり、作家として考えに考え抜いたメタフォリカルな構造が、日常のダイナミズムによって崩されるとき。失敗を狙ってはつまらないものになりますが、失敗を恐れないことが作品の可能性を膨らませます。今後の『無職・イン・レジデンス』においては、わたしのようなズル賢い“良い子”ではなく、ぜひ“悪い子”をレジデンスさせてください。そして“悪い子”とどんな関係をタカハシさんが結べるのか、または結べないのか。もし結べるなら、どんな価値をこの社会へタカハシさんなりに提示できるのか。中途半端にまとめずに、トコトンまでやっていただきたい。そのとき、はじめて『無職・イン・レジデンス』がこの2015年の日本に群生していた意味が生じるのだと思います。

※ アジア各地に継がれる民俗芸能の構造から創作した演劇作品。所轄警察から暗に聞き出す「街の条件」を手掛かりに、住民たちがその街にとっての「異物」を演じて歩く。住民一人ひとりの日常における「まなざし」や「無意識的な記憶/体験」が露わになると同時に、その街におけるさまざまな「線引き」を自身の判断と責任において行う。これまでに横浜2都市と大阪で実施したほか、フィリピンの国際演劇祭Karnabal Festivalとの協働制作事業として、共に被災地である東北とタクロバンにて今後上演する。

提出日:2015.7.15

「無職インレジデンスの日記と感想文」

澤田萌子

無職インレジデンスの企画はFacebookで誰かがシェアしていたのが流れてきて知りました。 無職というワードに引っ掛かったので、募集要項を確認してみたらちょっと参加したくなる理由が4つくらいありました。

私は働いてなくてお金をほとんど稼いでなくてそのことにコンプレックスがあります。 ものを作るけど、作家、アーティストです、と自分のことを他者に紹介するのは抵抗があります。自信がないからかもしれません。だからと言って無職ですと言うのも抵抗があります。 参加したら無職です、と言うことの居心地の悪さを突破するきっかけがあるかもしれないし(理由1)その居心地の悪さの原因となるもやもやを突き止めるヒントがあるかもしれない(理由2)と思いました。

使わなくなった古い居酒屋さんをリノベーションしてレジデンスの場にするとのことで、リノベとかセルフビルドがしてみたいから建物が気になりました。(理由3) 知らない人と住んでみる体験がしてみたくて、面白そうだし自分のことが知れそうだと思いました(理由4)

レセプションパーティーの日に初めて無職インレジデンスの会場に伺って企画者のタカハシ・タカカーン・セイジさんと対面しました。そのときにはレジデンスの面接で採用された通称ミカン君(MC腐ってもみかん)やようこさん、研究員の保帆さんがいました。 無職・イン・レジデンスがある場所は大阪市の此花区というところで、近所に住んでいる人が差し入れをもってきて見学したり話をしたりしにきていました。当たり前なんだけど私にとってはみんな知らない人で、少し戸惑って、居心地がわるかったけど自己紹介とか話をしたり聞いたりしました。町の人たちが次から次へと狭いこの元居酒屋に出入りする様子がとても新鮮でした。 緊張もしていました。料理を作ったりしながらタカハシさんに面接できました。私が彼に、面接をするというのは新鮮なことでした。

タカハシさんへの面接では、今までに家族以外の人と住んだ経験はあるか、とか『タカハシさんにとって無職ってどういうことですか』とか『働いていても無職ってどういうことですか?』とか『タカカーン ってなんですか?』とか聞きました。無職についてはタカハシさんもいろいろ口にしながら模索してる途中のようでした。

内定を差し上げたのち、私の応募動機を『なんとなく居場所がほしいのかな?』って話したら採用をいただきました。帰る頃には居心地がだいぶ以前よりよくなってました。 暖かい場所やなと思いました。

もっと ただ在ることを肯定できる場所があってもいいよな、と思いました。

  • 4月4日 昨日の夜から今日の夕方は無職インレジデンスへ。夜は近くの銭湯へ、その後高校を辞めた経歴のある3人(私含め)で色々話しました。仕事のこととか、過去のこととか。私のはなしも静かによく聞いてもらいました。暗くはなくて、特別明るくもなくてよかったです。ふとタカハシさんを見たらギターを弾きながら泣いていました。何が悲しかったのか、どうするでもありませんでした。

    銭湯のチケットをもらったので歩いて5分くらいの所にある昔ながらの銭湯にきました。とても気持ちよくて自由な気持ちになりました。 帰り際に番台のおじさんが『おおきに。気ぃつけてな。』と声をかけてくれて、決まり文句なんやろうなとわかってはいてもなんだか温かさを感じて嬉しかったです。

    夜は寝袋と毛布をかけて横になりました。寒かったり外の音が気になったり窓に貼られたビニールが風でカサカサ鳴る音が気になったりそもそも慣れてないところで寝ることにそわそわして眠れなかったです。
  • 4月5日 今朝は近くにある FLOAT というスペースにて、やってみたかったことをやってみる時間 ”みるみる” に参加しました。(主催の一人の米子さんは寝ていて間に合わなかったので私とタカハシさんのみの参加でした)ロケーションと建物がとても好み。目の前に安治川という川が流れていて、屋上からは街がよく見渡せる風通しのよいところ。 このあたりは埋め立て地だから、昔は海運の仕事の人とかが使っていたらしいです。 ピアノをひいたりドラムをたたいたりそこらへんのあらゆるものをスティックで叩いてまわったり大きな倉庫をフィールドにして隠れんぼしました。隠れんぼに勝ちました。http://t.co/J0MchKWvtp

    昼は此花区の梅香フェスティバルに行きました。 商店街の近くの公園が会場で、地元の人がテントを張って飲み物とか食べ物とか売っていました。 梅干しを飛ばす企画もあったので私も飛ばしてみたら4メートル飛びました。10メートルくらい飛んでる人もいました。 雨で足元は悪かったけど賑わっていました。タカハシさんにたこやきとサングリアをごちそうになって、お腹いっぱいになってレジデンスに帰ってきたらやっと眠ることができました。

    レジデンスの好きなところをあげます。

    あんまり決めていないがゆえの、可能性の広さとか、自主性に重きをおいてるところ、(やりたくないことはやらなくていい、やりたいひとがやるスタンス)、アクションを起こすということへのライトさ、タカハシさんのまわりの人々、多様な解釈ができるよくわからない企画。

    起きたらアイデンティティー無職のみかんくん(mc腐ってもみかん)とかんじれんしゅうフィルという企画の参加者の奥村さんという人がきていました。そのあと Yuko NEXUS6さんがきてみかんくんとSMAPの歌を踊り始めて楽しそうでした。名残惜しかったけどおうちに帰るためレジデンスを後にしました。
  • 4月11日 武田さんから、社会に揉まれてないことに由来してるであろう歪さがよい感じだ、というようなことを言ってもらったことが印象に残っています。私は社会に揉まれてないことにコンプレックスがあったけれど、そういう人がいてもいいのかもなと思いました。自分を大切にしてねとも言われました。してるつもりだしこれからもそうする予定です。時々難しいけど。 度々行く先で出会った人に言われることがある言葉だったから、また言われて大切にしてないように見えるかなと考えました。

    京都からコワーキングスペースNoyaneのタタタタカハシさんがきて、劇作家の岸井大輔さんと、タカハシ・タカカーン・セイジさんとレジデンス無職たちと会場にきたみなさんと、無職・イン・ノヤネ というトークとツアーイベント(?)でした。私も無職インレジデンスの無職として質問されたりブルーシートに座ってみるよう指示されたりして無職の役割がありました。(参加は自由)

    公園の滑り台の下や、川に架かる歩道橋の上にビニールシートを歩行者に配慮しながら敷いて座りました。短時間ノヤネ。遠くの橋には環状線が通っていて、風が電車の窓から漏れる光でものさみしくなりましたがこのさみしさが嫌いでないです。

    シートの回りにはツアー仲間がいるのでこの時間を共有してる不思議さが嬉しかったです。少ししたらシートを畳んでまた歩き始めて、の繰返し。ずっとこういうこと(ただ存在しているっぽいことを感じられること)にしみじみできる仲間がほしかったのだなぁ。と思いました。周りの人が同じように感じていたかは知りませんが。
  • 4月12日 今日は無職インレジデンスでがっつりレジデンスしていたレジデンス無職の武田力さんが【踊り念仏プロジェクト】を上演した。参加者である私も出演しました。異物を演じるのに努力した結果、街との隔離感 同じ空間にいつつ異次元感が得られました。祈りみたくなって。不思議な体験でとても面白かったです。

    私は珈琲豆を挽くミルを持って、豆をゴリゴリ挽いて歩いてみました。異物感を出すにはいつもよりゆっくり歩く必要がありました。 歩いていたらパチンコ屋を見つけたので入って、地下に広がる台に向かってこちらに全く気がつかない人たちを見ながら豆を砕きました。少し破壊の祈りになっていたと思います。

    レジデンス期間中になにか作ってもいいなぁと思って道具を持ってきてみたりしたけど、ストーブに当たってお話ししながら色鉛筆を削っただけでした。武田力さんが先日の色鉛筆を持ってきてほしいって言うから持ってきたら彼の作品上演後に使用されました。少し嬉しかったです。

レジデンス最中はただ自分、他者、建物とかが存在していることに意識を向けることが度々あったから、瞑想ぽさがありました。 レジデンスに限らずに意識しさえすればどこでもできることなんだけど、自然にそうしたくなるような時間が流れておました。

そういえば武田さんになにになりたいの?って聞いたら妖怪になりたいって言っていました。神が堕落すると妖怪になるんだって。私は魔法使いになりたいです。

二階の窓枠に張られたビニールがかさかさ鳴る音、軋んで凸凹する畳、階段の引き出し収納の木の年期。キッチンに入るときにくぐるカウンター、ぐらつくシンク、穴の開いた椅子から見える黄色いスポンジ、たくさんの借り物の調理器具や食器、食材。ぎっしり詰まった冷蔵庫、トイレの電気、引っ張って流すトイレの紐、短い間でしたがレジデンスが終わって片付けているときにさみしくなりました。

無職というものについてよく考えるより先に私はこれまで生きてきた中で認識してきたその無職のイメージによってそうである自分にがっかりしていたり憤っていたり不安を感じたり惨めに思ったり卑下したりしていました。

ただ考えるより先に自分を社会の目で評価する癖がついているのです。

レジデンス中に無職という言葉を何度も口にして。ここでは無職でも受止めてもらえるっぽい安心感を前提にそれを人と共有してたらだいぶ自分に染み付いていた”無職”は揺らいでポロポロと粉々のクッキーみたいになりました。

それらはまた日常に戻っていくうちに元の形に戻ろうとするのかもしれないけど、そこで人々と過ごしてしまったからもうどうしたって元には戻らないです。勇気を持たなければならないです。クッキーはなるべくして粉々になったのです。

期間限定だったとはいえ無職・イン・レジデンスが町のコミュ二ティーの中に存在していることって、とても希望です。同時にもっと世の中にあっていいとも思います。

私たちが生きるために職がいらなければ職につかなくていいし、生きるために必要なくても職につきたかったらつけばいいし、生きるために職が必要なら職につけばいいけど職につくことができなかったとしてもそれは職につくことができなかった人が悪いのではなくて、たまたまだから。

職がいらないと思ったのも職が欲しいと思ったのも職につけなくて悲しいのも悔しいのも職がなくてはだめだと思うのもぜんぶたまたまで、誰の責任でもないしすべての責任は私たちにあります。どっちでもいいです。考えるのはなるべくやめたくないです。

タカハシさんが無職で無職・イン・レジデンスを企画してよかったです。どっちでもいいですが。ありがとうございました。

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